はじめに
唯一無二の存在感を放ち続けるファッションブランド「メゾン・マルジェラ(Maison Margiela)」。
時代に迎合することなく、独自の価値観でスタイルを生み出す姿勢が、世界中のファッショニスタたちを虜にしてきました。
そんなブランドの設立者である「マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)」はメディアへの露出をことごとく拒み続け、インタビューにもFAXで質疑応答するなど、その素顔や私生活は未だ謎に包まれています。
今回はそんな謎に包まれた人物についてまとめてみました。
Martin Margiela(マルタン・マルジェラ)略歴
1957年 ベルギー ヘンクに生まれる
1979年 アントワープ王立芸術学院卒業 / フリーのスタイリストへ
1984年 ジャン=ポール・ゴルチェのアシスタントデザイナーに
1988年 自身のブランド設立
1989年 パリコレにてデビュー
1997年 HERMESのレディースコクレションのデザイナー就任(2004SSまで契約)
1999年 メンズウェアラインをスタート
2008年 ブランドから身を引く
アントワープ卒業〜ブランド設立
マルタンは世界三大ファッション学校のひとつ「アントワープ王立芸術学院」を卒業後、フリーのスタイリスト、そしてジャン=ポール・ゴルチェのアシスタントデザイナーを経て、1988年「メゾン・マルタン・マルジェラ(Maison Martin Margiela)」を設立します。
ブランド設立にあたっては、ジェニー・メイレンス(Jenny Meirens)というビジネス・パートナーがいました。彼女はマルタンの深い理解者であり、マルタンはデザイン以外の全ての仕事を彼女に任せていました。彼女の存在なしにはブランドの成功はなかったとまで言われています。
例えばジブリでいう宮崎駿と鈴木敏夫のような、漫画家とプロデューサーの関係といったところでしょうか。現在まで続く”ブランド表記の無いタグ”のアイデアを最初に出したのも彼女だと言われています。
ちなみに現在のタグの数字の意味は以下の通り。
・0 – 手仕事により、フォルムをつくり直した女性のための服
・0 10 – 手仕事により、フォルムをつくり直した男性のための服
・1 – 女性のためのコレクション(ラベルは無地で白)
・4 – 女性のためのワードローブ
・3 – フレグランスのコレクション
・8 – アイウェアのコレクション
・10 – 男性のためのコレクション
・14 – 男性のためのワードローブ
・11 – 女性と男性のためのアクセサリーコレクション
・12 – ファインジュエリーのコレクション
・13 – オブジェ、または出版物
・22 – 女性と男性のための靴のコレクション
・MM6 – ♀のための服
Source:https://ja.wikipedia.org/
パリコレデビュー
ブランド設立翌年の1989年パリの小さな劇場カフェにて初のショー。
ランウェイを歩くモデルについても、街でスカウトしたりするなど、売れっ子のモデルを使うことはありませんでした。また顔はマスクで覆ったり、目を隠すようなメイクをしたり、とあくまで服を中心に見せる、ということに徹していました。
そういった姿勢が話題を呼び、当初からショーは満員御礼状態だったそうです。
その後もブランドではなく、服がすべてを語る。という信念をもとにマルタンそしてスタッフが一丸となり、次々と革新的なコレクションを発表していきます。
その発想法は、ファッション業界の概念から再構築を図る「コンセプチュアルアート」に近いと言えます。
メディア露出への徹底的な姿勢
ブランド設立当初は、メディアへのコレクションの説明などマルタン自ら行っていたようですが、ある時を境に、それすらも行わなくなりました。
マスコミの好き勝手な批評に対する不信感もあったのでしょうが、メディアへの自身の露出がブランドの純粋な評価への妨げとなると考えていたようです。
カルト的な人気を獲得
当時のファッションの潮流であった”モード”に対し、”アンチモード”を掲げ、賛否両論の前衛的なコレクションを発表するうちに、徐々にコアなファンを獲得し始めます。
また、極度な露出の制限によってマルタンやブランドが神秘化され、ショップに入荷前から完売状態になるなど、ブランドはカルト的な人気を博していったそうです。
ブランドを去る
さて、ブランドの規模が大きくなり、スタッフの数も増えるにつれ、経済的な危機が訪れます。利益よりもクリエイティブを追求するブランドの宿命とも言えます。
ビジネス面を任されていたジェニーはディーゼルの親会社「オンリー・ザ・ブレイブ(OTB)」の傘下に入ることを決断、その後ブランドを去ります。
大衆受けされる服を求められたブランドは、かつての実験的、革新的ないわゆる”マルジェラらしさ”を失っていきます。
そして2008年、マルタンもブランドを去ります。
真偽はさだかではありませんが、リアーナ(Rihanna)のフィッティングの最中に突如消えた、という記事もありました。
現在のブランド
マルタン不在の2009年以降はデザインチームで制作にあたります。
そして2014年からはジョン・ガリアーノ(John Galliano)がクリエイティブディレクターを務めています。
定番アイテムも現代的なシルエットにアップデートさせ、商業的成功を収めています。
定番アイテム(現行品)
ハの字ライダース(5ZIPライダース)
1999年から毎年リリースされている秋冬の定番アイテム。素材(皮)、シルエット、ディティール(ZIPなど)は年々進化。
最新コレクション(19-20FW)では山羊皮が使用されています。シルエットは初期と比べるとタイトに、着丈も長く現代的なシルエットになってきています。レザーの種類は好みが分かれますが、個人的には柔らかいシープスキンが好みです。
Source:https://www.maisonmargiela.com/
エルボーパッチニット
Source:https://www.maisonmargiela.com/
ノーカラージャケット
Source:https://www.maisonmargiela.com/
ジャーマントレーナー
ドイツ軍のスニーカーを元にしたスニーカー。カラーなどバリエーション多数。
Source:https://www.maisonmargiela.com/
タビシューズ
足袋(たび)をイメージして作られた斬新な形状のシューズ。ブーツタイプやスニーカータイプなど様々なタイプがあります。
Source:https://www.maisonmargiela.com/
マルジェラ出身のデザイナー
最後にマルジェラ出身のデザイナーをご紹介。
デムナ・ヴァザリア Demna Gvasalia
メゾン マルジェラ、ルイ・ヴィトンのデザイナーを経て、自身のブランド「VETEMENTS(ヴェトモン)」を設立。その後、2015年よりBALENCIAGAのクリエイティブディレクターに抜擢。ストリートスタイルをラグジュアリーブランドに融合したり、極端なオーバーサイズシルエットを取り入れたり、と時代に新しい風を巻き起こす様は、まさにマルジェラの革新性を継いでいると言えます。
ナデージュ・ヴァンヘ・シビュルスキー Nadège Vanhée-Cybulski
「HERMÈS(エルメス)」アーティスティック・ディレクター。2015-16AWコレクションよりウィメンズのプレタポルテを担当。
セバスチャン・ムニエ Sébastien Meunier
ベルギーを代表するモードブランド「Ann Demeulemeester(アン ドゥムルメステール)」デザイナー。マルタン・マルジェラのメンズコレクションに10年間携わったのち、2010年よりアン ドゥムルメステールへ。メンズコレクションのデザインを手掛けたのち、2013年よりクリエイティブディレクターに就任。
ダヴィッド・トゥルニエール=ボーシエル David Tourniaire-Beauciel
「Robert Clergerie(ロベール・クレジュリー)」デザイナー。それ以前は「Maison Margiela(メゾン・マルジェラ)」、「Chloé(クロエ)」、「Givenchy(ジバンシィ)」、「Balenciaga(バレンシアガ)」のシューズラインを担当。Balenciagaでは「トリプル S(TRIPLE S)」のデザインも担当。
砂川卓也 TAKUYA SUNAGAWA
mister it.(ミスターイット)デザイナー。
リンク
Maison Margiela 公式ストア
https://www.maisonmargiela.com/
参考:映画 “We Margiela マルジェラと私たち”
http://wemargiela.espace-sarou.com/